BullianStyleな「食」が、驚くほどシンプルであることは、ブログやFacebookにもたくさん書いてきました。
「え、これだけ!?」
Bullianダイサポ商品の材料表示も、笑えるほどシンプルです。
シンプルな「食」の、何に驚くかというと、もちろん、その「おいしさ」です。
今まで見えなかったモノが見え、聴こえなかったモノが聴こえる・・みたいな。
「どうして今まで気づかなかったんだろうか?」
という事を、いろんなものを手放した、素のカラダで感じることです。
レタスのひだの口あたりや、リンゴの皮の繊細な渋み、レモンがまとめる完成度高い酸味。
今まで散々食してきた、おなじみの食材が違って見える瞬間です。
採れたての野菜を、川の水で洗ってかぶりつく・・・という「シンプル」とは、似ているけれどちょっと違う。

こんにちは、Bullianプチスタッフ西田です。
私としては、非常にエクスタシーを感じる感覚で、原始的な価値観に触れたようで、嬉しすぎて怖いです。
なので、なるべく静かにしていたい。
おかしくなるのではないかという恐怖と、おかしく思われるのではないかという心配。
Bullianには「健康食」を学びに来たのであって、エクスタシーを感じに来たのではないのだよ。
エクスタシーって、なんかエロティック。
だから、なるべく静かにしていようと。
植物性素材と、少しの調味料で広がる世界は、いろんな食材と複雑な調味料で作られるソレとは違っている。
原始的な感覚さえ取り戻せば、前者の方がはるかに広い。
自分の元々の感覚を使って得た「おいしい」という体験は、なぜか懐かしく忘れられない。
「おいしい」=「健康食」
Bullianでは、この数式があたりまえであり、「食」からエクスタシーは感じていいし、静かにしている必要もない。
そう感じることができた。
「おいしい」が健康につながる感覚、ヒトが健全に生きようとする感覚は、エクスタシー以外の何モノでもないやろ。
と、思えた。
元々あるものを表に出さず静かにしているのは、いろいろあるんだろうけれど、出せる環境が少ないのかもしれない。
お行儀良くとか、誰かに遠慮とか、自信がないとか?
元々あるものって、なんか怖いしね。
元々を見て、がっかりすることがあるかもしれない。
元々が制御できない程、暴れることがあるかもしれない。
得体が知れなくて、見る勇気がない。
だから、既成のモノやみんなと同じものでカバーをして、ひとまず安心する。
毎日せっせとカバーする。
そういうのないですか?
食事の度にBullianStyleな「シンプル」を実践すると、元々あるものと、とても仲良くなれる。
本当の元々は、本来、ああやこうやして繕うものではない。
がっかりするもんでもなければ、制御するもんでもない。
カバーして覆い隠すくらいなら、裸にして洗練すればいい。
1日に3回食事をした日は、3回こう思う。
毎日食事をしたら、毎日こう思う。
積み重なる。
カバーが外れる。
これ、「食」習慣のとても興味深いところ。
Bullianじゃなきゃ、気づかなかったところ。
怖がらず、シンプルへ飛び込むことを、私は静かにお勧めいたします。